茗荷谷探訪①~茗荷坂と縛られ地蔵

東京都内には「谷」がつく地名が多いような気がします。

渋谷、四谷、市ヶ谷、日比谷、入谷、下谷、祖師谷、雑司ヶ谷、碑文谷、阿佐ヶ谷、 雪ヶ谷、世田谷、松が谷、神谷、糀谷、粕谷、富ヶ谷、鶯谷、谷中、谷原、大谷口、 大谷田、古千谷、谷在家、谷河内、谷町ジャンクション・・・それだけ東京の地形は複雑怪奇と言って過言ではないでしょう。

上に挙げた「谷」は殆どが「や」と読みますが、今回その中でも数少ない「たに」と読む「茗荷谷(みょうがだに)」へ行ってみました。

東に小石川台地と西に小日向台地に分ける茗荷谷は、江戸時代、この辺りに茗荷畑が多かったことが由来らしく、住所番地は消滅してしまいましたが、名前は地下鉄丸ノ内線の駅名や町会名として残っています。

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茗荷谷は茗荷谷駅のあたりから後楽園のある南東へ向かって細く続いています。後楽園に向かう丸ノ内線の線路は東側の小石川台地の南側を添うように走り、さらに北側を川越街道へと続く春日通り小石川台地の頂上を通っています。

茗荷は「もの忘れがひどくなる」という俗説がありますが、釈迦の故事に由来するそうです。

釈迦の弟子で周利槃特(しゅりはんどく)という人がいましたが、彼は記憶力に乏しい人物で、自分の名前すら忘れてしまう。そこで彼の名を書いた名荷(みょうが「名札」)を首にかけさせたが、それすら忘れてしまったそうです。彼はのちに悟りを開いて十六羅漢の一人になったにもかかわらず、とうとう死ぬまで名前を覚えることができなかったそうです。

また戦国武士は、神仏からの御加護の意味である「冥加(みょうが)」にかけて、「茗荷」の紋を好んで使用したそうです。

まずは丸ノ内線茗荷谷駅の改札から左に進みます。

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「茗荷坂」です。
人通りが多い以外は片側に小石川台地の高い石垣が迫る、駅前をあまり感じさせない静かな通りでした。

高台にある茗荷谷駅から、林泉寺や拓殖大学東門を通り深光寺に向けて緩やかなカーブを描きつつ緩やかに下る長坂です。現在はこの坂の言ってますが、違う坂の説もあるそうです。事実この辺りには名がついてない坂が多く昔からの坂か、のちの開発でできたものかよく解りませんでした。



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坂の中ほどにある林泉寺「縛られ地蔵」です。
そばに荒縄が用意されているので、五円玉を付けて願掛けしてきました。

「縛られ地蔵」は大岡忠相の「大岡政談」が有名ですが、そのお話は葛飾区の南蔵院の地蔵尊だそうで。こちらの地蔵尊は願掛けに荒縄で縛り、願いがかなえば解くといったものだったそうです。その他にも町民に地蔵を縛らせることで不満を和らげようとする当時の寺社奉行の目的があったようです。
本来このお地蔵さんは江戸時代初め伊藤半兵衛長光という人が両親の供養のために寄進した物だそうです。



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林泉寺の前から拓殖大学正門へ上る急なS字坂です。先に紹介した茗荷坂とこちらの坂はどちらも江戸・明治の地図に載ってました。

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小日向台地にある拓殖大学です。
日清戦争の勝利で獲得した台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校し、その経緯から現在でも国際開発の人材育成を主力としている大学です。
この日も国家資格の試験が行われ沢山の方が訪れていました。

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茗荷坂の坂下にある深光寺です。
本堂はS字坂を上った所にあります。このお寺には、戦中に戦争の金属不足の為に供出し、戦後偶然に戻ってきた梵鐘があります。

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「南総里見八犬伝」の作者曲亭(滝沢)馬琴のお墓がありました。



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