駿府城 巽櫓と東御門
徳川家康が天下を取った後、晩年を過ごした駿府城へ。
駿府とは駿河国府中の略で、駿河国の国府が置かれ永らく府中と言えば駿府を指したほどの地名ですが、明治になり徳川宗家の印象が強いのと、「府中(ふちゅう)」の読みが天皇への「不忠」に通じるとして、市内にある賤機山(しずはたやま)にちなみ「静岡」と改称されたそうです。
駿府城は徳川宗家の城だったせいかわかりませんが、城内の建物の破却はもちろん、軍隊誘致のため城内の内堀、天守台まで破壊され更地にされてしまいました。
駿府城二ノ丸の東南角(十二支であらわした巽(辰巳)の方角)に設けられた巽櫓です。
巽櫓は一番最初に復元された建物で、全国の城の櫓建築でも珍しいL字型の建物です。
静岡駅方面から歩いてくると一番最初に目に留まる巨大な三層二重の隅櫓でした。
駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口だった東御門は、主に重臣たちの出入口として利用されたようです。
背景に、現代の天守とも言えそうな静岡県庁別館の建物が見えます。
二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門です。
櫓門から見た高麗門です。南と西を多聞櫓に囲まれた「枡形門」と呼ばれる堅固な守りの実戦的な門で、戦国時代の面影を残しています。
逆に高麗門から見た櫓門です。
多聞櫓からみた櫓門です。
【撮影日2009/9/27】
櫓門の梁に巨木が三本も使われています。
櫓門、多聞櫓、巽櫓の二階内部が資料館になっていました。
公園内から見た多聞櫓です。
資料館内にあった天守の復元模型です。
独立した天守が中央に建ち、四隅に二重櫓を建てて多聞櫓を建て廻してあるという巨大建築物だったそうです。
駿府とは駿河国府中の略で、駿河国の国府が置かれ永らく府中と言えば駿府を指したほどの地名ですが、明治になり徳川宗家の印象が強いのと、「府中(ふちゅう)」の読みが天皇への「不忠」に通じるとして、市内にある賤機山(しずはたやま)にちなみ「静岡」と改称されたそうです。
駿府城は徳川宗家の城だったせいかわかりませんが、城内の建物の破却はもちろん、軍隊誘致のため城内の内堀、天守台まで破壊され更地にされてしまいました。
駿府城二ノ丸の東南角(十二支であらわした巽(辰巳)の方角)に設けられた巽櫓です。
巽櫓は一番最初に復元された建物で、全国の城の櫓建築でも珍しいL字型の建物です。
静岡駅方面から歩いてくると一番最初に目に留まる巨大な三層二重の隅櫓でした。
駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口だった東御門は、主に重臣たちの出入口として利用されたようです。
背景に、現代の天守とも言えそうな静岡県庁別館の建物が見えます。
二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門です。
櫓門から見た高麗門です。南と西を多聞櫓に囲まれた「枡形門」と呼ばれる堅固な守りの実戦的な門で、戦国時代の面影を残しています。
逆に高麗門から見た櫓門です。
多聞櫓からみた櫓門です。
【撮影日2009/9/27】
櫓門の梁に巨木が三本も使われています。
櫓門、多聞櫓、巽櫓の二階内部が資料館になっていました。
公園内から見た多聞櫓です。
資料館内にあった天守の復元模型です。
独立した天守が中央に建ち、四隅に二重櫓を建てて多聞櫓を建て廻してあるという巨大建築物だったそうです。














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